乗り入れ路線: 近鉄京都線

ここでは城東高速寝屋川線が乗り入れている近鉄京都線について調査・研究した結果について発表します。

概要

近鉄京都線は、京都〜大和西大寺間34.6kmの路線である。軌間は1435mmで架空電車線方式 (1500V) である。駅数は20駅 (大和西大寺を含む) であり、京都〜西大寺は特急・高速で28分、急行で32分とかなりの速達運転を行なっている。高速列車は特急車両(定員着席制有料車両)と通勤型車両(乗車料金無料)を連結して運行する列車種別である。南海や名鉄の特別車・一般車の併結に似ているが、近鉄の高速列車は一般車がロングシートとなっている。高速列車の設定により、日中は京都〜奈良の特急単独運転および急行列車の運行がなくなった。

運行ダイヤ

(妄想版)近鉄京都線停車駅

平日夕方以後を除き、15分ヘッドを基本としている。日中は30分サイクルに近鉄特急/高速/空港快速/国際会館直通急行/京都発着急行が各1本、全線通し普通/国際会館〜城陽の普通が各2本運行している。つまり、15分ヘッドにおいて近鉄特急と高速が同一スジ、空港快速と臨時列車が同一スジ、急行各1本が同一スジとなる。

平日夕方は20分サイクルになり、1サイクルに近鉄特急/高速/空港快速/区間急行/普通2本が運転される。近鉄特急は1時間あたり京都〜奈良間が1本、京都〜橿原神宮間が2本、高速列車は京都〜奈良間が2本、京都〜天理間が1本、区間急行3本はすべて京都〜橿原神宮間、普通は京都〜天理間と橿原神宮間が各3本である。

各駅の紹介

妄想版近鉄京都線配線図

京都駅は、(現実世界と異なり) 4面5線である。近鉄特急/高速/空港快速はそれぞれ異なる車両を使うため、共通運用ができない。日中の30分サイクルを回すためには4面5線が必要となった。

竹田駅はもともと浪速鉄道→近鉄の車庫があったが、地下鉄烏丸線と接続するときに京都市に譲渡した。かわりに向島駅に京都市の負担で車庫を建設して近鉄が利用することとなった。地下鉄の車庫を向島に作る案もあったが、竹田〜向島の回送が多数発生するのを避けたい京都市・近鉄双方の思惑が一致してこのような運用となった。

伏見桃山駅は京阪との総合駅である。京阪沿線から橿原神宮への参拝が容易になるよう計画されたもので、戦時中に建設して終戦直後に完成した。以前の桃山御陵前駅は2面2線だったが、総合駅化で2面4線の待避可能駅となった。また、京阪宇治線は中書島でのスイッチバックを回避するため、伏見桃山からの分岐に線路付け替えを行なった。これにより京阪の優等列車は伏見桃山・中書島の連続停車を避けることができた。

小倉駅は戦前に設置された通過線がそのまま残っている (史実では向島駅設置時に通過線を撤去しましたが)。伏見桃山の総合駅化で通過線の需要が減ったが、空港快速の運行開始後は終日活用されている。

城陽駅は城陽市の市制移行時に駅名を変更して急行停車を行うようになった。その後、2面4線化および引き上げ線の設置が行なわれた。地下鉄列車は当駅での折り返しが多い。旅客需要としては田辺駅まで運行したいが、城東高速との接続駅であり引き上げ線を設置する余裕がないことから、当駅に引き上げ線を作ることとなったためである。

田辺駅は城東高速寝屋川線が分岐しており京都駅まで/三山木駅までの直通運転を行なっている。接続駅から両方向に相互直通運転する例は国内でも珍しい。

三山木駅は同志社大学田辺キャンパスの最寄り駅である (史実での同志社前駅/興戸駅付近を想定してほしい)。

木津川駅は城東高速木津川線と交差しているが線路は繋がっていない。

高の原駅は (史実と異なり) 2面2線の駅である。

大和西大寺駅は近鉄いや全国屈指の平面交差駅である。(この架空世界では) 近鉄奈良線系統および京都・橿原線系統の双方を15分ヘッドに統一することで列車の交錯タイミングを単純化している。また、奈良線系統/橿原線系統それぞれの緩急結合が西大寺で発生することを避けたダイヤを組んでいる。緩急結合をすると上下1面2線を塞いでしまい、もう一方の系統が使えなくなるためである。よって、近鉄京都線は木津川駅で緩急結合することが多い。近鉄奈良線は (現実世界と異なり) 生駒駅で緩急結合できるため、西大寺での緩急結合を回避しやすい。

(なお、近鉄橿原線・天理線はハードウェア面では現実世界からの改変はありません)

沿革

京都〜田辺間は城東高速鉄道の前身である浪速鉄道が1916年に建設した浪速鉄道京都線であり、田辺〜木津川間は浪速鉄道が1905年に奈良延伸したときの路線である。木津川〜西大寺は、近鉄の前身である大阪電気軌道が1927年に建設した大軌木津線である。戦前から京都〜奈良《東大寺》/天理/橿原神宮の直通運転を行なっていたが、戦時中に関西急行鉄道・南海鉄道と合併して近畿日本鉄道として一体化した。戦後、近鉄から浪速鉄道が再分離して城東高速鉄道が設立されたとき、京都〜木津川の区間は浪速鉄道に返還されず、京都〜西大寺間が「近鉄京都線」として一体化された。

※史実では近鉄京都線の敷設は浪速鉄道ではなく、奈良電気鉄道が京都〜西大寺間を建設しました。奈良電の近鉄への合併は戦中ではなく戦後しばらくした1963年です。また、現実世界では、田辺〜木津間に浪速鉄道を合併した関西鉄道によって建設された狭軌線路 (現、JR片町線) も存在します。よって「浪速鉄道が建設した京都線」は虚構です。当然ながら、近畿日本鉄道やJR西日本などに本記事の内容について問い合わせされないようご注意ください。